2019年7月2日火曜日

8話

少年の父親は、その年の12月の第二週に他界した。葬式にもどった時に、母親は泣き続けていた。
何もできない母に代わって、父の会社の人達がお葬式を取り仕切ってくれた
何人かの父親の部下のヒトが少年に仕事をくれて、あまり悲しんで居られないのが少年には
助かった。本葬のときには、父の遺影と焼香する参列者の間に座って、手を合わせる人達の
顔を見ていた。最後の参列者が礼をして席にもどるときに、涙が急に目に溢れ、
何も見えなくなった。少年は何も見えなくても立って礼をするだけで良いことを
ありがたいと思った。


葬式が終わり最後まで残っていた親戚が去ったあとは、母はほとんど何も話さなかった。
ちょうど冬休みに入ったので、少年はそのまま自宅に残った。母親が何も話さない間、
少年は本を読んだ。ドクトル・ジバゴでユーリー・ジバコがラーラと暮らしたシベリアでの
場面に羨望と親しみを感じた。


暮れていく実家での生活で、あの箱に入ったサチフダがあれば、母の名前を書いて
幸せを呼べるのに、と、少年は考えた。考えた時に、文房具屋の女店主が少女の名前を
知っていることも思い出したが、今はフダも箱もなかった。


三十日に、伯母が訪ねてくれた。母親は、郷里から出てきて父の妻として我慢が続いたことを
話しはじめた。父親がいなくなった今、自分のために生きなければならないと決心したとのことで、
だんだん声は力強くなった。何年か前の正月に父に食事を作らせていた時と
同じ母親が戻ってきたように思えた。少年は少しホッとした。

少年は、大学を卒業し大学院に進んで、会社への就職を決めた。少年は青年になっていた。
採用されたのは、実家から通える会社だった。最終面接が決まったあとも、長い休みの時には、
会社からの呼び出しがあった。当時、優秀な人材は他の会社に就職活動に行かないように、
休みのたびに会社が呼び出して研修に参加させられた。それでも大晦日には研修が休みで、
実家でのんびりしできたので、文房具屋に行ってみることにした。青年が大学院に通っている間に、
女店主はめっきり老けてしまい、店は陳列する商品が訪ねるたびに減り、寂れていたが、
いつも青年が訪ねると喜んでくれた。その日も、とりあえず本を買って女店主と話すつもりだった。

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